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JR久大線北山田駅に降り、駅前に出ると、そこは国道210号線である。その眼前に見えるのが、三日月の滝。別名魚返の滝とも呼ぶ。この滝から上に魚がのぼれず、引き返すというところからきている。そこから村の名前も、魚返村になったのだという。


明治の末期、魚返開設のため、陸軍工兵隊が岩壁の一部を破壊した。このため、三日月形で落下する白い瀑布は、増水した時にしかその姿を見ることができなくなった。


この美しい姿の三日月の滝には、哀しい物語が秘められている。平安朝の昔、京の公卿に清原正高という横笛の名手がいて、宮中で笛の調べを聞かせていた。そのうちに醍醐亭の孫姫小松女院と恋に落ちる。これが帝の耳に入り、正高は解官され但馬介に、さらに豊後国玖珠郡へ左遷された。一方、小松女院は因幡の国へ流されたが、正高のことが忘れられず、豊後の国めざして11人の侍女とともに旅に出る。苦労の末、玖珠郡の三日月の滝まで来た時、樵の老人に出会い、正高が土地の地頭矢野検校の娘と結婚し、一子をもうけていることを知る。「今はこれまで」と、小松女院はうず巻く滝つぼへ身を投げる。これを見た11人の侍女も、次から次に入水を遂げる。このことを伝え聞いた正高は哀れに思い、供養のため、戸畑に福田寺という寺を建て、そこに亡骸を埋葬したという。これが三日月の滝に伝わる物語である。


JR北山田駅から日田寄りの200mぐらいのところに、桜ヶ岡瀧神社がある。ここには秋の大祭(10月29日から4日間)の時に奉納される、県指定無形民俗文化財「滝瀬楽」がある。楽の由来は、ある時玖珠郡地方で40余日におよぶ長雨が続き、玖珠川がはんらんした。その時、万年山のふもとの一部が、滝瀬の所で崩れ、川をせき止めた。泥水は郡内を覆い、死者は数百人にも達したという。住民は、万策つきて、瀧神社に祈願した。満願の日、川をせき止めていた岩石、土砂が押し流され、泥水は引いた。「これぞ神の御加護」と感謝し、滝瀬・西応寺・柿ノ木・井原・竹尾の5集落の住民が相談の上、毎年の瀧神社の祭典に楽を奏上し、子々孫々に至るまで神を敬うことを誓ったのが、滝瀬楽のはじまりという。


こうした瀧神社には、大字山浦にある嵐山瀧神社と大字戸畑にある桜ヶ岡瀧神社がある。嵐山瀧神社の方が古宮であるが、毎年戸畑側の人々が川を渡ってお参りするのに、増水した時など難儀をするので、戸畑側の桜ヶ岡に分霊を祀ったものという。


(「玖珠川歴史散歩~玖珠郡史談会編~」より抜粋)