電話&FAX 0973-73-8734

 JR北山田駅前から見える三日月の滝の右手に、嵐山瀧神社がある。駅から大分寄りに100mほど行って右折し、滝のすぐ上にかかる神幸橋を渡ると、右手の森の中に滝の音だけが響き渡る霊域がある。
 

祭神は、滝津姫命・田心姫命・市杵島姫命を祀り、福岡県の宗像神社の分霊という。創建は天平宝字年間(757~764年)と伝えられる。この神社の奥には、「小松女院奥都城」という霊域がある。ここは天延3年(975年)、前の滝に入水した小松女院と11人の侍女を祀った石祠を清原正高が建立し、これを「滝宮」と言うと伝えられている。

 

現在の「小松女院奥都城」は文化15年(1818年)4月に建立されたもので、奉納された石燈籠には、日田代官(のち文政4年(1821年)からは、郡代となる)塩谷大四郎(文化14~天保6年まで在任)の銘があり、さらに周囲の玉垣は、筑後国生葉郡・山城国山科・日田・豊前国宮園・肥後国人吉など他国の人や、郡内天領地域の各人々など約70人からの寄進でできた。

 

さらに、瀧神社本殿前に見られる石燈籠も、文化15年の4月に小田村の豪農、商人などによって寄進されたものである。これから考えると、文化15年は代官塩谷大四郎が着任した次の年にあたり、塩谷氏が人心をつかむために大々的に寄進を仰ぎ、「小松女院奥都城」を建立、大祭を催したのではないかと考えられる。

 

なお、同神社には正徳5年(1715年)にも日田代官南条金左衛門が寄進した石燈籠が、拝殿の内に納められている。このように瀧神社は、江戸時代における玖珠郡天領の信仰の中心として為政者からは利用され、民衆からは敬われたものであろう。


(「玖珠川歴史散歩~玖珠郡史談会編~」より抜粋)