(みかづきだより第27号より)
現在、三日月の滝と云われているが、その昔「豊後国志」の中に魚返瀑とあり、高さ三十四丈、広さ五十丈、飛泉激発、禺馬如(とぶうまのごとし)云々とあり、年魚(あゆ)がここまで来て、滝にのぼれないので「魚返り滝」となり、又地名になったとも記されている。
昔は「繊月瀑」といったが、今では「三日月の滝」となり、何千年か、何万年もの歳月を経て、滝の面影は移り変わり、今では三日月形の一角が壊れ「飛瀑」はその一角に集中し、かつての見事な景観はそこなわれているが、この滝が魚返村にまつわる数々の歴史や物語は、永久に尽きることがないであろう。
瀧神社への参道に架かる神幸橋を渡れば、境内の入口に現在では立派な御堂があるが、薄暗いその奥に滝見観音の石像がある。少し首をかしげ、物憂げに微笑みかける姿は、心なしか平安の昔、小松女院が入水自殺を遂げた悲恋物語を悲しんでいるようにも見える。
又、境内の中、石燈籠の中を歩くと、河岸の台地上に女院の奥都城(おくつき)がある。四季折々に文人墨客が詣で、遠い昔をしのぶであろう。
「小松女院奥都城」