(みかづきだより第30号より)
草の入江より直進110m位で右折し、トボトボ歩く。左側に浦河内川の清流が流れ、小魚がピチピチと泳いで、昔の古里を思い出した。
今では、川で魚をとる子供もいないが、昔は多くの子供達が川で魚をとっていたなぁと思いながら、道を歩くこと約10分。山の口の標識があり、右折してみた。約200m位歩いた所の左側に祠があり、目指す。「山の口の宝篋印塔」があった。
碑文の東西南北にそれぞれ梵字があり、金剛界四仏の神々が研刻されている。
また、記録によれば「前紀州大守昌繁公禅足門▇ ▇文明四白王辰三月念三日孝子敬白」銘が刻んである。これは近くにある森氏の祖先の森紀伊守の逆修供養のため、森常陸介(初代森三郎道元から数えて森氏直系13代目)が建立したものと断定した人がいる。
逆修塔は本人が生きている間に、戦争で戦死した場合の自分自身のために建てる物であり、子供が親のために建てるのは供養塔という。
後は、山の口から歩いて山中公民館より右折して、山中上を通り、田の口を歩く。この前までデコボコ道が、いつの間にかアスファルトになり歩きやすく、又周辺には楓が植えられ、立派な紅葉見物ができるなぁと思いつつ、高速道のトンネルを通って帰路についた。