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眼鏡橋(町道平川線)

 

眼鏡橋は、通称「平川橋」とも言われている。橋は、木牟田地区を上流とする浦河内川をまたぎ、明治34年(1901)7月に、筑後出身の石工である益永浅太郎によって造られた。

橋の欄干は何度も改築されているが、当時の親柱は現在一つだけ残っている。親柱には「平川」と刻まれている。

橋の架かっている場所は、古くは旧佐賀県道で、国道210号線の旧道である。国道210号が出来上がる昭和45年(1970)までは、北山田商店街を通る幹線道路として、路線バスや乗用車など車の通りが激しいところであった。

 

石造アーチ橋は、九州の特色ある土木文化であり、全国のアーチ橋の95%近くが九州・沖縄に集中している。大分県の石橋は、明治後半から大正・昭和初期のものがほとんどである。    

 

~玖珠町教育委員会・玖珠町文化財調査員会~

 

改修工事前。
めがね橋

 

改修工事後。(平成13年3月)

めがね橋現在

 

(平原芳夫さん提供)